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中帰連?

2006/11/08 01:12

 

元戦犯の記念館、埼玉・川越にオープン 供述書など所蔵

第2次大戦中、中国遼寧省の撫順戦犯管理所に収容された
旧日本軍の元戦犯の供述書や帰国後の記録資料などを
集めた「中帰連平和記念館」が3日、埼玉県川越市にオープンした。
歴史資料のほか、寄贈された書籍も多く、関係者は次世代に
歴史を伝える場になればと期待している。

 記念館を作ったのは「撫順の奇蹟(きせき)を受け継ぐ会」。
日本軍の加害証言をしてきた中国帰還者連絡会(中帰連)が
02年に関係者の高齢化で解散し、会を引き継いだ。
開館式には中帰連の元会員10人あまりや研究者らが
集まって開館を祝った。
 記念館には、元戦犯45人分の供述書などのほか、
都立大の故山住正己元総長の蔵書約2万冊などが収められている。

 館長の仁木ふみ子さんは「死刑を覚悟で戦犯が書いた
供述書など、あの世代の青春を奪った戦争を見つめ直そうとした
貴重な記録。若い人たちには、早い段階から戦争を振り返る本を
読んでほしい」と話した。
 当分は資料整理のため午後のみ開館。
利用希望者は仁木館長に事前申し込みが必要。

■ソース(朝日新聞)(ソースに電話連絡先)
http://www.asahi.com/national/update/1104/TKY200611040169.html

キャッシュ

このニュースに出てくる中国帰還者連絡会(中帰連)。
ネットなどを見てると「中帰連は洗脳されているから彼らの
証言は怪しい」などの発言をよく目する
しかし、そもそも中帰連って何者?ということについて
調べた事がなかったんでちょっと検索

まずwikipedia(以後wiki)の中帰連(キャッシュ)の記述。
(wikiは誰でも自由に編集できるらしいので
記述がいつどのように変わるか分からない)

中国帰還者連絡会(ちゅうごくきかんしゃれんらくかい)は
中国の撫順戦犯管理所に抑留された旧日本軍の軍人が
帰国後の1957年に結成した団体。中帰連。
731部隊、南京事件(南京大虐殺)、強制連行などについて
積極的に証言を行うことで知られる。
2002年に全国組織としては解散され、
撫順の奇蹟を受け継ぐ会への事業引継ぎを行っている。」

朝日新聞の記事にもあるように高齢化のため今は解散して
「撫順(ぶじゅん)の奇蹟を受け継ぐ会」になっているようだ
いったいどのような人たちが受け継いだのか気になる所

次に「撫順戦犯管理所」
この名前ではwikiに登録されてないが
「撫順」(キャッシュ)で検索すると出てきた

「中帰連」のwikiの記述はなんだかあっさりしすぎてる感じが
するけれど、こっちには「日本との関係」という項目で
結構詳しく書いてある

ここに載ってる地図を見ると旧満州の北朝鮮に近い
場所にあったことが分かる

第二次世界大戦後、撫順の監獄には関東軍捕虜や
満州国官僚、また満州国皇帝であった愛新覚羅溥儀と
弟の溥傑など1000人以上が集められ撫順戦犯管理所となった。
ここで入所者は共産主義の思想学習と戦争犯罪行為の
自白などのプログラムを受けた。1956年その多くが
不起訴処分となり日本へ帰国し、残る有罪判決を受けたものも
順次釈放され帰国した。帰国者たちは中国帰還者連絡会を
結成し日本軍による中国での戦争犯罪や残虐行為を
語り継いでいるが、撫順戦犯管理所で行われた教育や
犯罪自白自体が中国共産党による洗脳だったのではないか
という声もある。」

wikiを見る前に、手元にある本で、この「撫順戦犯管理所」に
ついてちらっと見ていたので、この記述を見て
「おや?」と思う事があった

秦郁彦氏の「現代史の対決」という本に
「撫順戦犯裁判 認罪書の読み方」という項目がある

撫順戦犯の大多数(969人)は、終戦後に満州と北朝鮮から
ソ連軍の捕虜としてシベリアへ連行され強制労働に服したのち、
1950年7月中国に引き渡された人たちである。56年夏の裁判まで、
拘禁生活は10年を超えていた。」(
p58)

満州からシベリアへ連行された約60万人の日本兵捕虜の
大多数はその前に帰国し、残っていた約2500人のなかから
969人が中国向けに選定されたのだが、中国から申し入れたのか、
ソ連側が押し付けたのかは両説あってはっきりしない。」(
p61)

つまり、wikiにはシベリアについて書かれていない。
「第二次大戦後~集められた」とあって、
終戦後すぐにここに集められたかのような感じになってる。

終戦→シベリアへ連れて行かれて強制労働5年
朝鮮戦争(1950-53)の勃発直後の7月、
中国に連れて行かれて6年

次に誰が連れて行かれたのかについて。
wikiでは
関東軍捕虜や満州国官僚、また満州国皇帝であった
愛新覚羅溥儀と弟の溥傑など1000人以上
」とある。

秦氏の本も参考にすると
「ソ連から中国」へ連れて行かれた日本軍の内訳は
第39師団、第59師団だけで6割を占めていたとある。

このあたりの各部隊の内訳等詳しい事は後で調べるとして、
次にこの人たちが拘束期間中どのようなことをされたのか
についておおまかに。

撫順管理所員の手記を集めた中帰連編訳の
『覚醒』(1995年)の中で、孫明斎所長は、
教育課程を次の3段階に分けた。

1.反省学習
2.罪行自白(坦白(タンパイ))
3.尋問

」(「現代史の対決」p62)

1.はマルクス主義史観や毛沢東思想の学習
2.の段階で「認罪」(過去の戦争の非を認めること)が行われる

ここではとにかくやったことを吐けという事。
「自白すれば軽く、拒めば重く」というチラシが所内に
貼られていたという。

そして最初に「認罪」をした日本兵によって
兵→下士官→将校→将官
という風に下からつきあげる
「俺が言ったんだからてめーも言え」という説得工作

自分はこの段階のことを本で読んでいて
中国の文革期の紅衛兵のつるし上げや、
部落解放同盟の糾弾会を連想した。
どちらも多くの自殺者を出している問題である

しかも6年間それをずっとやりつづけるんだから
それはものすごいプレッシャーになったはずだと
容易に想像できる

3.は、被害者住民をかりだして面と向かって告発

中には「死を賭して抵抗する」と結束していた
グループもいたというが、その人たちも自殺未遂があったり
つきあげをくらって最後には認罪してしまったらしい。

このようにして「認罪」した内容が、中帰連によって本になっている。
中国帰還者連絡会関連文献集

「やった事を吐け」といわれて、「はい、自分はこういうことを
しました」という単純な話にはどう見ても見えない。

こんな状況下で「認罪」した事が「事実」だなんて普通考えられない。
帰国した人たちや、同じ部隊にいた人たちへの調査や
検証作業が絶対必要だと思う

つい最近
歴史の嘘を見破る 日中近代史の争点35」という本を手に入れた。
この本は「中国にああいわれたらこういい返せ」的な本で
南京事件等多くのトピックを扱っている

この中に
中国に『万人坑』『三光作戦』「731で大量虐殺されたと言われたら」
という項目がある
これを書いてるのは田辺敏雄さんという方
肩書きは昭和史研究家となっている

内容は、「中帰連の人たちの証言などをベースに
している本」や「それを利用する中国側」への反論になっている。
わずか10ページしかないのでそんなに細かくは書いてないけれども
自分のような「中帰連ビギナー」にとってはとっかかりとして
非常によい本だった
なによりよかったのは、論文の最後に田辺さんのHPのURLが
書いてあった事。

タイトルは
「脱・洗脳史講座」
http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/

ここを見ると中帰連の人が話した事などを
朝日新聞等反日メディアが「検証もせずに」
垂れした事などよく分かる

とくに上で書いたソ連から中国へ連れて行かれた
59師団の中帰連の人の話で
「労工狩り 中国人強制連行」というトピックのところが短いし
分かりやすい
http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/asahi-hanzai/frame1.html

今回、朝日新聞はまたしても彼ら中帰連の
人たちが言ってることをあたかも事実であるかのように
記事にしている

「関係者は次世代に歴史を伝える場になればと期待している」

「館長の仁木ふみ子さんは『死刑を覚悟で戦犯が書いた
供述書など、あの世代の青春を奪った戦争を
見つめ直そうとした貴重な記録。若い人たちには、
早い段階から戦争を振り返る本を読んでほしい』と話した。」
(今回の朝日新聞の記事)

館長の仁木ふみ子さんは↓のHPによると元日教組婦人部長らしい

反動と闘ってこそ連帯できる
http://www.jlp.net/news/990725a.html

検証もしていない変な歴史を次世代に伝えられても困るんですが

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